なぜ下眼瞼下制によって下まぶたをコントロールするのか。それは下まぶたを自在に動かして表情を形作ることが、かなり表情筋の鍛錬を積んだ人でもない限りたいへんに困難であるからです。とくに先天的に目元の形状が小さめであり、まぶたを動かす筋肉が弱い方の場合、いくら力んでみても目を大きく見開くことはまずもって至難の業なのです。
もちろん極端な場合を除いて、下眼瞼下制を施さずとも、日常生活に支障をきたすことは、厳密な意味ではほとんど無いかもしれません。しかし人間が他人とのかかわりの中で生きていく「社会的動物」である以上、他人がもたらす自己への評価がそのまま、社会生活の方向性を決定づけることは誰しも否めないのではないでしょうか。それは極めてあいまいな「美醜」という価値基準であったり、年齢による不当な評価であったりするわけです。美容外科の治療というものは、むしろこうした「社会からのいわれなき不当評価」に対するレジスタンスのサポートであると位置づけられます。
さて先にも触れたように、人間の下まぶたは他の動物と異なり、まばたきしてもほとんど動かすことができません。ですから歳をとって瞼を動かす筋肉が衰えてくると、目元全体がしぼんだように小さく感じるようになってきます。目元が小さくなれば表情も乏しくなり、てきめんに若さが失われていきます。いかにも見るからに「年寄じみている」という不当評価に繋がるわけです。下眼瞼下制はそういう意味で、アンチエイジングの治療法でもあるわけです。
お若い方の場合であっても、目元がはっきりしないと全体にぼやけた印象となり、これは実際の本人の資質にかかわらず「暗い」「積極性が足りない」「無気力である」などの誤った人物評価に繋がりかねません。社会生活を営む上において、まだまだ「ルックスが人生を左右する」ことは否めないでしょう。下眼瞼下制は美容外科の治療メニューではありますが、一方で人生に転機をもたらしてくれる魔法の一種であるとも言えないでしょうか。
下眼瞼下制に限らず、広く美容外科の治療を受けようとされる方の場合、その多くは社会生活になんらかの軋轢を感じておられるわけです。その打開策として、表情に小さな変化をもたらすことをチョイスされていることになります。そうした小さな選択が、表情を激変させ、ひいてはその人の性格そのものを根底から変革してしまう例も少なくないのです。確かにこれは「現代の魔法」に違いありません。